煮貝の由来は戦国時代、武田信玄の家臣であった飯島宗幸が、激戦で体力を消耗する士卒の食料として少量でも栄養豊かな鮑に目をつけ、創作したのが初めとされています。
宗幸はのちに家康に仕えることになりますが、2代目伊兵衛が甲府に出て魚屋を創業します。これが現在のみな与のはじまりです。
そして(みな与)6代目藤右衛門が、それまで駿河から塩漬けにして運んでいた鮑を、何とか生の風味で食べられるようにと工夫し、伊豆の網元と協力し、醤油とみりんをベースにして味付けし、柔らかく色艶も生に近くに仕上げた現在の味を完成させました。
出典 / 甲府街史(中丸眞治・楠 裕次 著)
山梨伝統の煮貝は、ここみな与から始まりました。
以来、みな与では当時の製法そのままに、いまでも手作りで煮貝を提供しております。
活き鮑のみを使用する理由
使用する鮑は活きているうちに調理することがみな与の基本です。
もともとみな与6代目藤右衛門が最初に煮貝を考案した際も、伊豆の海岸で取れたあわびをそのまま調理し、醤油とみりんベースの調味料を加えたのち山梨へ運びました。
鮑は採れてから時間が経過することでその身も次第に硬くなります。
鮑の刺身はコリコリと硬い印象をお持ちの方も多いと思いますが、実は鮑は生のほうが硬い歯ごたえになります。活きた鮑をすぐに調理することで、なんとも柔らかく、そして歯ごたえのある食感を楽しめるのです。
この食感こそが、みな与伝来の煮貝の美味しさの秘密であり特徴です。
また、みな与の鮑は肝をつけたままお出ししておりますが、これも新鮮な鮑だからこそできることであります。
先祖代々醤油ベースの秘伝のタレ
みな与は醤油由来の手作りの味を大切にしています。
もともと鮑を醤油に漬け込んだのは、静岡から山梨への長い道のりで鮑を傷ませない殺菌目的でありました。
冷蔵庫のない時代、海産物を2日保存することさえ大変だった時代です。
100キロ以上離れた甲府へ鮑を届ける為に醤油に浸し馬の背に乗せて運んだことで、馬の背で温められ醤油で煮たような状態となり、甲府へ着く頃にはいい塩梅になる。
この馬の背に揺られた鮑の状態を再現してお出ししているのがみな与の煮貝です。
鮑を洗い、火を通し、冷やし、秘伝のタレに漬け込む。
今の時代に合わせ塩加減を減らし薄味にはなりましたが、昔ながらの製法を受け継いでおります。
山の民の保存食として生まれた山梨の銘品あわびの煮貝。
煮貝発祥の歴史と伝統をみな与では今でも忠実に守っております。